patakoのタロット勉強ブログ

タロットを学びながらあれこれ考えたこと

【2女司祭】~私が私でいるための聖域~

こんにちは。patakoです。

今日は、大アルカナ2番目のカード「女司祭」について、愛月先生の講座で学んだことや、自分であれこれ考えたことを書いていきたいと思います。

 

 

まずは、カードの意味から!

 

■意味

これは私の「種子」の部分と繋がるという意味のカードです。

種子というのは、自分の中にある、理由はよくわからないけど、直感的で絶対的な判断基準のことです。

この判断基準は、頭で考えたものではなく、体からくるものです。

例えば、「理由はないけど、これが好き!嫌い!気持ちいい、不快、生理的に無理」

など。

社会(親や友人、自分の属している組織)の基準とも違いますね。

つまり、この基準は自分の内側にある私が私らしくいられるための聖域なのです。

 

1番「魔術師」と2番「女司祭」は、自分の基になる部分。

変えられない設定でもあります。

→魔術師では、(自分の肉体、両親、生まれてくる環境など)

→女司祭では、潜在的な感覚(好き、嫌い、快、不快)

が決まります。

 

■生命の木では

(生命の木については↓で解説していますので、よろしければご覧ください)

patapataco.hatenablog.com

 

女司祭は、生命の木では↓の青線部分に当てはめられています

この女司祭のパスは、「私とは何か?」に関連してきます。

この生命の木では、そもそも「私とは何か」なんて「無い」と考えます。

なぜなら、最上層部分の第4層は科学の限界を超えた世界。人はなぜ生まれ、なぜ死ぬのか、私とは何か?このことについて科学で解明できるのはHOWまでで、WHYは永遠にわかりません。

つまるところ、結局「わからない」「無である」「あるのはただエネルギーだけ」というのが結論になります。

 

そしてこのエネルギーが、下に降りてきた時、理由もなく最初の設定ができます。

(無の世界から降りてきただけなので、そこに理由などないのです) 

「(何か知らんけど)これが好き、これが苦手、これは出来るけど、これは出来ない」という設定ができ、おぼろげながら「私」というものが立ち上がってくる。

本当は私なんてものないんだけど、その「種」を信じるところから物語が始まっていく。

これが、女司祭が現すパスです。

 

■女司祭の部分を無視してしまうと

タロットにおける、人が持つ判断基準は3つ

①女司祭→感覚、直感、体による判断

教皇社会のルールに基づく判断

③正義→頭を使った比較に基づく判断

 

この中でも女司祭に表される判断基準は、状況や相手によって変わらない、自分の中にある絶対的な基準になります。

もし、この部分を無視してしまうとどうなるでしょうか?

「自分が自分でいられなくなってしまう」のです。

そして、ここは自分と外の世界に線を引く、自分を守るための大切な感覚でもあります。

 

小さい子が転んで今にも泣きそうになっている時、その子に向かって「泣かない!痛くない!」と言っている親御さんを時たま見かけます。

特に小さい頃は、自分の負の感情(痛い、怖い、悲しい)をしっかりと感じて、それをそのまま受け止めてもらうということがとても大切なのですが、その感情が無かったことになる経験が積み重なると、自分はどんなことが嫌で、何をされると悲しいのか、そんなことがわからなくなったり、無意識に抑圧したりしてしまいます。

 

すると、悲しいことや嫌なことがあったとき、しっかりとその感情に向き合うことができず、それをごまかすために常に気を逸らし続けることでしかバランスが取れなくなってきます。

私の友達は、「どんなに疲れて早く寝たくても、ゲームをしないと落ち着かない。やめたいと思っているのだけど......」と言っていました。もしかしたら目を背けたい、抑圧している何かがあるのかもしれません。

 

私は高校の頃、日々あまりにたくさんの課題が学校から出され、夜遅くまで勉強していました。そもそも行きたい大学があるわけではなかったのですが、学校では少しでも偏差値の高いところに行くことが正義とされていたので、ただただいい点を取るために苦手科目に必死に取り組んでいました。

「自分は正しいことをしている」と頭では思っていましたが、常にイライラが止まらず、唯一の楽しみは食べること。(その結果今より10キロ近く太っていました)

やっと眠れると思って布団に入っても、眠るまでの空白が嫌で、寝落ちするまでネットサーフィンをしていました。

社会(学校)の基準にばかり合わせていて、女司祭(自分の感覚)を無視した生活ですよね。

幸い、高校を卒業して環境が変わったので更に悪化することはありませんでしたが、あの生活をずっと続けていたら後々大きな問題になっていたと思います。

 

もう一つ、女司祭で浮かんだエピソード。

社会人になり私が新卒で入った会社は、同期同士で旅行に行ったり、仕事終わりに飲み会をしたりと、同期の繋がりが強いところでした。

先輩社員からも「同期は大切にしろ」とよく言われてました。

しかし私は同期たちとタイプが合わず、しばしばそのことで悩んでいたのです。

彼らの多くが、みんなでワイワイガヤガヤすることが好きで、見た目も華やかな感じの外向的なタイプ。一方私は、人が多い場所は苦手で、大人数の飲み会では会話に入れず、1人で家でまったりするのが好きな内向的なタイプ。

場の雰囲気を壊さないように同期たちに合わせて楽しそうに振る舞っていましたが、家に帰ると正気を吸い取られたようにげっそりしていました。

しかし、少しずつ飲み会の誘いを断ったり、一次会だけで速やかに帰宅しているうちに、「そうゆうキャラ」として同期の中で定着するように。

確かに1人だけ浮いていたし、付き合いが悪いと言われたこともありましたが、「私らしくいられる」だけでとても楽になりました。

このときは、自分の中にある基準を優先することができたのだと思います。

 

「私が私らしくいられる」ことが、精神的に健康で、生き生きとした日々を送る上で欠かせない在り方なのかもしれません。(実はすごく難しいことだったりしますが😣)

 

最近『世界一優しい「才能」の見つけ方』という本を読みました。

その本で書かれていたのは、

・苦手なことではなく、得意なことをした方が、人は何倍も輝ける。

・人にはみな「才能」がある

・「才能」とは、「後天的に身につけたスキルや知識、人よりうまくできること」ではなく「自然とついやってしまうこと、自分にとっては当たり前に出来てしまうこと(生まれつきなど特別な努力をせず身についたもの)」

 

なのだそうです。なので、自分の才能を自覚し、それを活かすことができれば、水を得た魚のように生きることができるというのです。

これ、女司祭の「私が私でいられること」に通じると思いませんか?

「自分らしさ」に気づくことができる、とても実践的な本だったので、気になった方にはぜひおすすめです!

世界一やさしい「才能」の見つけ方 一生ものの自信が手に入る自己理解メソッド | 八木 仁平 |本 | 通販 | Amazon

 

以上、女司祭についてでした。

次回は、3番のカード「女帝」について書きたいと思います!

ではまた😎