patakoのタロット勉強ブログ

タロットを学びながらあれこれ考えたこと

【5法王】~私の信じるもの~

こんにちは。patakoです。

今日は、大アルカナ5番目のカード【法王】について、愛月先生の講座から学んだことや、自分であれこれ考えたことを書いていきたいと思います。

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まずは、カードの意味から!

意味

このカードでは、法王が信者に神の教えを説いている場面が描かれています。

そこから

「(社会における)正しい教え、道徳、規範、常識」という世界観を表します。

(あくまで「教わる」という立場なので、自分の考えや内側にあるものではなく、外から教えられる(押し付けられる)ものです)

 

ポイント

①社会のルールを学び、従うことで守られる

言われたことを守り、皆と一緒のことをしていれば、そこにオリジナリティはないのですが、安心感を得ることが出来ます。

例えば、学校の校則に何の疑問も持たずに従えば、先生に怒られることはありません。むしろ生活態度良しという評価をもらえるかもしれません。

しかし、これは自由がなく制限があることの裏返しでもあります。ここに疑問を持ったり、自分の考えが出てきたりすると、この5番の世界から出ていきたくなります。

(そしてそれは場合によっては「いけないこと」だったりしますね。そうすると「15番(悪魔)」の世界観になります。)

 

➁正しいものと「そうでないもの」

正しい教えや基準があるということは、自動的に「そうでないもの」は『悪』や『間違ったこと』になります。

例えば「人を殺してはならない」という教えがあり、「人を殺すこと」は『悪』というのは誰もが納得できると思います。

しかし「給食は残さず食べなければならない」という教えがあり、「給食を残す人はだめ」というのはどうでしょうか。

どうしても食べられない物があったり、食欲がなかったり人には色々事情があると思うのですが、ここではそういった多様性は認められず、ある1つのことだけが正しいということになります。

いじめや差別はここから発しており、1つの基準を掲げるというのは実は怖いことでもあると思いました。

 

③「何を信じるか」は私が決める

生きる上で、「信じるもの」がある人は強いですよね。

そしてそれは一般的な宗教だけではありません。その集団における決まりごと、社会的に価値あるものとされている事や物(ボランティア活動、学歴、肩書、ブランド物など)、尊敬する人や好きな有名人なども、「信じるもの」に含まれます。

(例えば「推し活」などは、グッズを購入することを「お布施」と呼んだり、ポスターや写真を飾って「拝ん」だりとまるで宗教活動のようですよね。「推し」から得るパワーにもすごいものを感じます。)

ここで重要になってくるのは、その「信じるもの」の中に、『自分の人生を良くしよう、意味あるものにしよう』という向上心があるかどうか。

この部分が少しでもないと、どうしても「依存的」になったり、「自分の不安を解消するため」に利用するにすぎなかったりと、健全な意味での信仰心ではなくなってしまいます。

 

■生命の木では

この5番法王は、コクマーとケセドを繋ぐパスです。そしてこのパスには「釘」という意味のヘブライ語(ヴァウ)が当てはめられています。

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「釘」とは、何かを固定する、制限を加えるということを表しており、「何を信じるか」によって、どう人生を固定するかが決まります。

そしてその固定されたところから、ケセド(可能性)が開かれていきます。

『制限があるからこそ、可能性が生まれる』というのは一見逆説的ですが、先生の例を聞いてとても腑に落ちました。

〈例〉

・制限のある人(親の介護や子どもの世話、仕事が忙しい)の方が、案外時間に余裕のある人よりも「今やらなきゃ!」という思いが強いので頑張れたりする。

・「死を意識する」ことで一日一日をとても大切に過ごす。

・物事が現実化するということは、制限をかけられて狭まっていくことでもある。

このように、釘で固定されたところから可能性が開いていきます。

 

以上が、生命の木を上から見たとき。

では、下から見たときはどうでしょうか。

私たちが普段いるのは、ヴェールの下の世界。自分が無自覚に作り上げたフィルターを通して、現実を見ています。そしてここは可能性のない世界でもあります。

「こうでなければいけない」「こうあるべき」「こうならなかったらどうしよう」という考えに凝り固まっている限り、ヴェールを超えていくことができないのです。

ケセド(可能性)に繋ぐパスが、10番【運命の車輪】。

この10番で起こる「偶然性(たまたま)」を見るためには、一旦自分のフィルターを外さないといけないのです。

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私の好きなユング心理学コンステレーションという考え方があります。

ステラとは星座のことで、コンステレーションとは「布置」と訳されています。

夜空の星座を見るとき、そこにはただ星々が並んでいるだけなのですが、昔の人はその星の形を柄杓と見たり、天秤に見たりしました。一見何の関係もない星々を繋げて、1つの星座にしたんですね。そうしたことで、そこには1つの意味が出来、物語が生まれました。

このように、『一見無関係にしか見えないものが、ある時全体的な意味を持って見えてくる』ことをコンステレーションというのです。

自分の長年抱えている悩みや、凝り固まった状況を、「コンステレーションを読む」という視点で見たとき、「ある特定の何かが悪い」のではなく、色んなものが相互に関連しあってコンステレーションが出来上がっていることに気が付くことができます。

そしてこのコンステレーションの確実な把握ができるとき、実は変なコンステレーションが解けて、新たなコンステレーションが生まれる場合が多いのです。

私はこの考え方を知り、人生の見方が大きく変わりました。まさに私にとっての「信じるもの」なのだと思います。

かなり話が逸れましたが、「運命の車輪」を通ってケセド(可能性)に行き着くという話を聞きながら、このことを思い出したのでした。

 

■「何かを信じる」ということ

自分が本当に信じられるものを持ったとき、それはもはや外側にあるものではなく、自分の中に取り込まれ自分の一部になるのだと思います。そして人は、そのときに初めて、本当の意味での信念を持つのではないでしょうか。

最後に、(臨床心理学の第一人者でありユング心理学を日本に広めた)河合隼雄先生についての回顧録から、「何かを信じる」ということについての印象的な文を引用します。

(実際に河合先生から教育分析を受けた心理学者の方が書かれた文です。)

自分を信じることが大切であると言われるが、そんなことはどうでもよかった。まず何よりも「河合隼雄」を本当に信じることができるかの方がはるかに私にとって意味があった。

(中略)

たとえだまされていたとしても、河合先生がまったく私のことを誤解していたとしても、今はもうどうということはない。

この決定や「河合隼雄」を信じることは、変わらないものへと変化したのである。

(『臨床家 河合隼雄』)

 

 

以上、5番【法王】についてでした。

次回は6番【恋人たち】について書いていきます☆

ではまた!