patakoのタロット勉強ブログ

タロットを学びながらあれこれ考えたこと

【3女帝】〜なぜないものがほしいのか?〜

こんにちは。patakoです。

今日は、大アルカナ3番目のカード「女帝」について、愛月先生の講座から学んだことや、自分であれこれ考えたことを書いていきたいと思います。

 

 

まずは、カードの意味から!

 

■意味

このカードは「欠乏のない世界」をあらわします。

そこは、「豊かで恵まれている」のが大前提の世界。

「無いから欲しい」のではなく、今あるもので十分満たされています。

そして放っておいても自然に実がなるので、女帝はただゆったりと座っているだけで恵みを頂くことができます。

 

■ポイント

ここでのポイントは、「女性性」というものです。

女性性とは『ただ受け取る、どうにかしようとしない、そのまま感じる』という力。

反対に、男性性とは『どうにかしようとする、コントロールしようとする』力のことです。

 

例えば、何か悲しいことがあったとき

「ああ悲しい」とただただその感情を感じきっているときは、女性性のあり方です。

(犬や猫などの動物を想像するとわかりやすいかもしれません)

「この悲しい思いをどうにかしよう」とあれこれし始めるのが男性性。

女性性より、男性性優位で生きている人の方が多いのではないでしょうか?

そもそもこれだけ社会や科学が発達してきたのも、男性性の力によるものですしね。

 

しかし、実はこの「どうにかしよう」と考えることから、『欠乏』が生まれるのだそうです。

悲しみや傷つきや嫌な感情をそのまま感じるだけなら、ただそれだけ。

しかし、それをコントロールしようとすると、自分の欠けた部分に焦点が当たります。

理想を抱いてそれに向かって努力するのは、タロットでは4番〜7番の世界観。

この2番女帝は

「そもそも欠乏なんてない、あなたはそのままで愛されている、満たされている、何か起きても放っておきなさい」という世界観です。

 

また、

「与えられる(何かしてもらう)」ことが当たり前、当然であることもポイントです。

(「いやいや、そんなことしてもらったら悪いです😖!」とは真逆)

 

そして、

なんであれ与えられたものを喜べるのもポイント。

(「こんなものじゃ喜べない🤨」ではなく、「わ〜ありがとう😳」という感じ。既に満たされて欲望がないからできることなのかもしれませんね。)

 

実際に、女帝のように天真爛漫で、いつも幸せそうな人っていますよね。

しかももし私がその人だったら欠けていると思う状況でも、とても楽しそうにキラキラしてたりして。

そうゆう人は、自分を他人と比べることもないので、向こうからジャッジされているような圧迫感を感じず、一緒にいて心地いいというか、安心感のようなものを感じます。

そんな人を見ると、人が満たされるのは、「何を持っているか」ではなく、「どう在るか」なんだよな〜とつくづく思います。(それが難しいんですけどね😭)

 

■生命の木では

(生命の木については↓で解説していますので、よろしければご覧ください)

 

生命の木では、力が上から降りてきた部分(②)と、力が型に収まる部分(③)を繋ぐパスが女帝です。

 

生命の木は、右側と左側が相反するものを表していて、それらを統合していくことが目的だそうです。(弁証法のような、正反合の考え方に似てますかね?)

右側が力の「拡大(広がっていく)」、そして「わからない」ライン。

左側が力の「縮小(形になっていく)」、そして「わかる」ライン。

なのだそう。

 

この左右を繋ぐパスは3つあり、

上から、3番(女帝)、8番(力)、16番(塔)です。

女帝は、「力」と「形」という相反するものを『愛』で繋いで(統合して)いきます。

 

そして、この女帝のパスには金星が当てはめられています。金星は、愛と美の女神「ヴィーナス」のシンボル。

ややこしいのですが、第二層の◯の部分にも金星が当てはめられています。

ここはネツァクと言って、「感情」を表す部分です。

つまり女帝のパスとネツァクは、同じ金星が当てはめられていることによって繋がっているのです。

これは、私たちが現実に「嬉しい!楽しい!気持ちいい!」などと感じたとき、さらに高次のエリアにある女帝のパワーと繋がることになるそうです。

例えば、恋をした人が急にものすごく綺麗になることありますよね?

何が変わったわけではないけど、なんか違う!キラキラしてる!みたいな。

これは、ネツァクのところでときめいたり、ドキドキしたり、心が震えることによって、高次の層である女帝のパワーを頂いているということ。

このパワー(「大きな喜びの力」)を頂いている人は、とても自然にキラキラして周りの人を惹きつけます。

 

なぜないものがほしいのか?

この女帝のカードを学びながら、自分のこれまでの在り方について色々と考えさせられました。

思えば、私は「今のままで満たされている」という感覚がずっとなかったように思います。常に、自分には何か欠けているものがあって、それを満たそうと必死になり、それを得ることができないということを何よりも怖れる。

そしてその欠乏の対象は、自分の置かれている環境によって変化していきました。

ある時は「学歴」だったり、ある時は「会社名」だったり。

それってゴールのないマラソンをずっと走っているようなもので、手に入れた一瞬は高揚感、達成感があるのですが、やがてすぐに次の欠乏対象を見つけてしまうのです。(そもそも手に入れたことによる喜びって、そのままで満たされている安心感・安定感とは性質の違うものですよね🤔)

多分、私の本当にほしいものはそうゆうのではないんだと思います。

「社会的に認められるような肩書がない自分には、価値がない」と思って努力してきましたが、その方向で頑張り続ける限り永遠に楽になることはなく、

「ありのままの自分でいい」と思えるようになることが私にとって必要なことなのだと。

 

前回ご紹介した『世界一優しい「才能」の見つけ方』を読んで、自分の短所は長所の裏返しであることを知り、少し自分に対する見方が変わりました。

「ありのままの自分には価値がない」という自己認識は、幼少期における愛着の問題が大きいと思うのですが、短所のせいで生きづらさを感じたり、自信をなくしている部分も多分にあります。

でもその短所をどうにかするのではなく、見方を変えてそのまま受け入れていくことができれば、それは「ありのままの自分でOK」に近づいていきます。

 

愛月先生は、『タロットは、(ないものを補って)成長するのではなく、むしろ手放していく過程である』というようなことを仰っていました。

私がタロットに惹かれたのもそうゆうところなのだと思います。

 

「愛」とは?

先生が、エーリッヒ・フロムの「愛するということ」をおすすめされていました。

私は数年前に1度読んだことがあるのですが、当時はピンとこず本も手放していました。ですが、最近もう一度購入し改めて読んでみると、前回とは違ってとてもおもしろく感じます。

 

この本の中でフロムは、

・「愛」とは、何よりも与えることであり、もらうことではない。

・「与える」とは、何かを失ったり、犠牲にしたり、あきらめたりすることではなく、「与えることによって、与えられる」のである。

と言っています。

これを読んで思ったのは、「ないない」と思って欠乏している自分には、「与える」という発想自体あまりなかったな。むしろ、相手から何かを与えてもらいたいとばかり思ってた。これでは、大切な人すら、本当の意味で「愛する」ことはできないんだなと。

自分もいつか、「与えること」が一番の喜びだと思えるようになりたいです。

 

(気になった方はぜひ読んでみてください!とても学びのある本です)

愛するということ | エーリッヒ・フロム, 鈴木 晶 |本 | 通販 | Amazon

 

以上、3番女帝についてでした。

次回は4番皇帝について書いていきます☆

ではまた!