patakoのタロット勉強ブログ

タロットを学びながらあれこれ考えたこと

【9隠者】~外側に答えはない~

こんにちは。patakoです。

今回からは、ランダムでカードのご紹介をしていきたいと思います。


本日のカードは

9番【THE HERMIT.】隠者

このカードを一言で表すなら
『問いを持ち、内側に答えを探す』


では【隠者】の世界観を3つのキーワードに沿って見ていきましょう。

 

①マント

マントとは、身体を覆い、身を隠すもの。

彼は何から隠れているのでしょうか?

それは「世間」です。

「大勢が正しいと思う見方・考え方」「みんなと一緒」「常識・当たり前」

タロットでいえば【5番:教皇】から背を向けているんですね。

 

そしてその「当たり前」は、外側だけではなく、自分の内にもあります。

例えば、「結婚はするもの」「恋愛対象は異性」「家族は仲がいい」など、

気づいたら自分の中で当たり前になっていることってありますよね。

しかしそれは、本当に私が考えたことでしょうか?

世間で言われていることをそのまま鵜呑みにしていたりしませんか?

隠者の世界では、そんな外や内にある盲目的な常識に

「ほんとにそうか?」

「私にとってはどうだろう?」

と問いをなげかけ、1人考えます。

マントで身を隠し、世間から遠く離れて。

 

②ランプ

「常識」では答えられない問いには、ランプが必要です。

なぜなら、答えは自分の内側にしかありませんが、

そこは暗くてよく見えない場所だからです。

 

自分のことはわかっているつもりでも、もう一段奥にある感情や欲望には気づかないふりをしているものです。

そこにあるものを認識し、受け入れるためには

「自分の弱さや欠乏を受け止める強さ」が必要になりますが

実はこれ、【8番:STRENGTH(力)】のテーマでもあります。

8番ができてはじめて、この9番隠者で「問い」を持ち、「私にとっての正解」を考えることができるのです。

自分の中に、目を背けていたりつっこまれたくない部分があると、隠者のように内観することはできませんからね。

 

少し話が逸れますが、

タロットの心理学的な解釈では、

22枚の大アルカナを3つの段階に分けて考えます。

 

①1番〜7番:外(社会)へ向かう

→社会に適応し認められるため、自己をコントロールし、「理想」を追い求める。

しかしここでの「理想」は社会の理想

 

②8番〜14番:内(内面)と向き合う

→①では「なかったこと」にしていた、自分の弱さ・欠落に目を向ける。

①で身につけたコントロールや「理想」が、自分を縛るものへと変わり、今までのようにはうまくいかなくなったとき、(半ば強制的に)この②フェーズへ。

 

③15番〜21番:外と内の統合

→コントロールやこだわりを手放した「本来の私」になり、改めて「社会との関わり方」を見つけていく段階。

「社会の理想」ではない、オリジナルな「新しい価値」が生まれる。

 

この考え方は、別名「愚者の旅(Fool's Journey)」とも言われています。

「愚者が各カードの世界を旅することで、自己変容を遂げていく過程」を表し、

心理学の要素を組み込んだ新しいタロット解釈として、一気に広まっていきました。

 

今回の【隠者】は

「内」へ向かう②フェーズに位置しており、

ここで「問いを持ち、内観すること」が、この先のカードの世界観を通過していく上で大切になってきます。

全体の中でのカードの位置付けを理解できると、より深く各カードの世界観や意味を掴むことができます。

また、私はよくその時の状況を「タロットでいうとどのあたりかな?」と考えるようになりました。

悩みの状況や、心が変化していく過程が細かくマッピングされていることで、羅針盤のような役割を果たしてくれています。

 

ディオゲネス

このタロットの作者アーサー・エドワード・ウェイトは、隠者について

「彼は古代ギリシャの哲学者、ディオゲネスのようだ」

と言いました。

 

ディオゲネスとは、

宗教・作法・服装・住居などすべての文明を放棄し、

世捨て人となって真理を追求した哲学者。

樽の中に住み、自らのシニカルな信念を貫いた生き様は人々を魅了し、
数多くの逸話が残されました。

あのアレキサンダー大王がディオゲネスの大ファンだったことも有名。

ギリシャ世界の支配者がディオゲネスに会いに行き、

「何か望みはあるか」と尋ねると、「私の太陽を遮らないでくれ」と答えたとか。

彼は後に「私がアレキサンダーでなかったら、ディオゲネスになりたかった」と述べたそうです。

ディオゲネスを訪れるアレキサンダー大王」ニコラ=アンドレ・モンシオ

またディオゲネスは、白昼堂々アテナイ市民の顔にランタンを当てながら

「正直者を探している」と言って歩き回っていたそうです。

社会慣習に従い、礼儀正しく立派に生きているように見えて、

蓋を開ければ中身(私見)がなく、そこにあるのはただの偽善や見せかけだけ。

慣習的なルールに縛られず、「正直に自分らしく生きること」を提唱し続けました。

 

さて、ここまで「マント」「ランプ」「ディオゲネス」をキーワードに見てきましたが、

なんとなく『隠者』のイメージが膨らみましたか?

このカードは

「当たり前」に疑問を持ち、自分の中に答えを探す。

そんな世界観でした。

『隠者』が出た時には、

「これは外に答えがない問題」という視点で考えてもいいかもしれません。

 

〈個人的感想〉実は難しい「隠者」の世界

自分の悩みに対して、外ではなく、内に答えを求めるというのは、なかなか難しいことだと思います。

スマホを持てば、すぐに様々な情報を手にいれることができるこの環境では、

何にでも用意された「正解」があり、自分の悩みもその正解を見つけさえすれば解決できるのではと思ってしまいます。

インフルエンサーの発信から「答え」を探そうとしたり、他かの誰かが答えを持っているかもと友達や周囲の人に相談したり。

 

私は、自分の中に答えを探していると、とても辛いと思うことがあります。

答えが出るとは、つまり自分が何らかの形で変化したということであり、

それは大変なことだからです。

「愚者の旅」でいうなら、隠者の問いに対する答えがでるのは【19番:太陽】で、

そこまでがいかに長い道のりか、おわかり頂けると思います。

 

悩みを抱えた状況で、すぐには答えが出ないことを問い続けるのは、過酷な修行をしているような気さえしてきます。

右でも左でもない狭間のような場所にいて、葛藤を抱え続けるには、ある種の支えが必要...

「信じられるもの」を求めて、宗教や哲学、心理学などたくさんの本を読みました。

そして最終的に私が「信じられる」と思ったのは、(ユング心理学を日本に広めた臨床家)河合隼雄先生。

そして先生こそ、答えを外でなく内に求めるサポートをするプロだったのです。

 

嫁の悩みを抱えた姑が、河合先生の元へ「なにか良い方法はありませんか?」とやってきました。

私が、「よい方法はありませんか」と言われて、「ありません」というのは、

よい方法というのは脇道なんです。

それをやらずに、この嫁と生きるとはどうゆうことか、なぜ私はこの嫁を嫌いなのか、この道をまっすぐ歩かないと善光寺には行き着かないわけです。

そのときに、だいたいみんな善光寺参りはしんどくて、脇道に行きたがるんです。

その脇道のことを、「何かよい方法はありませんか」と言われるんです。

そのときにだいたい我々は「ありません」と非常にはっきり答えるわけです。

つまり、「この道を行きなさい」ということを言うわけです。

この道というのはいちばん苦しい道です。

ただし、私も一緒に行きますからというのが、カウンセラーの仕事なんです。

(「カウンセリングを語る(下) 」河合隼雄

タロットの8番から始まる②フェーズは、「善光寺参り」なのだと思います。

いちばん苦しい道だけど、その先には宗教性にも繋がる深い何かがあるかもしれない。

わたしにとっては、河合先生の本が「善光寺参り」に欠かせない1つの支えとなりました。

内界の探求中に出会った人や本は、その後の人生でも大きな意味を持ってくる、

もしかしたらそれもギフトの1つなのかもしれないと思いました。

 

最後は個人的な感想でしたが、以上9番【THE HERMIT.】でした〜

次回はどのカードになるでしょうか?

ではまた!

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タロットの他に、最近読んだ本や近況についても載せています。

よろしければぜひご覧ください^^

【7戦車】~エゴの勝利~

こんにちは。patakoです。

今日は、大アルカナ7番目のカード【戦車】について、愛月先生の講座から学んだことや、自分であれこれ考えたことを書いていきたいと思います。

まずは、このカードの世界観から見ていきましょう。

【戦車】の世界観

■このカードには、凱旋する英雄の姿が描かれいます。

「凱旋」とは、自分の領土の外に戦いに行って、勝利を収め戻ってくることです。

「今ここにはないもの」が欲しいので、危険を冒してまで外の世界に取りにいくのです。

彼が「英雄」と言われる所以は、みんなが尻込みするような恐いことをしたから。

危険な賭けである勝負の場へと勇敢に出向いていき、勝つか負けるかの戦いを果たしたから英雄なのです。

『結果ではなく、やってみるという行為・挑戦にこそ、ヒーローの本質がある』んですね。

 

■ここでの「欲しいもの」とは、「社会」の中で欲しいものです。

例えば、仕事で成功したい・SNSで人気者になりたい・結婚したい、などこれを手に入れれば周りから賞賛されたり、認められたりするもの。

「社会的な成功」と言われるものです。

「なぜそれがほしいのか」と言えば、「自分の弱い部分をカバーする」ためだったり、「自分の中にある欠落を埋めてくれる」からなのですが、そういった自己の内面と向き合っていくのは8番以降になります。

なのでこの7番では、自分の内面(弱さ)はなかったことにして、

ただ「外面の勝利」を獲得しにいく、という世界観になります。

「外面の勝利」はあまり良い響きではありませんが、現実世界で努力し、挑戦し、エゴを満たすことができたからこそ、8番から始まる内面世界への探求に入っていけるのです。

 

■2頭のスフィンクス

戦車を引いているのは、馬ではなく、スフィンクスです。

実はこれ、ギリシャ悲劇の「オイディプス王」に出てくるスフィンクスで、

この物語が7番【戦車】の「外側の勝利」というテーマにぴったりなのです。

オイディプスは「父を殺し、母と交わる」という予言を受け、その恐ろしい予言を成就させないよう旅に出ます。

旅の途中である老人を殺すのですが、それは実の父親でした。

(彼は自分の出生の秘密を知りません)

まさか予言が叶いつつあることを知らないオイディプスは、テーバイという都の前でスフィンクスと出会います。

このスフィンクスは、通りかかる人になぞなぞを出し、答えられなければ食べてしまう、人喰いスフィンクス

f:id:patapataco:20230716153414j:image

オイディプススフィンクスギュスターヴ・モロー

(余談ですが、オイディプス王に出てくる人喰いスフィンクスが「乙女の顔と乳房を持っている」ことに驚き😳ギリシャ神話版は、よく見かけるエジプトのスフィンクスと種類が違うらしいです)

スフィンクスオイディプスになぞなぞを出します。

「朝は4本足、昼は2本足、夕暮れには3本足で歩むものは、なんだ?」

オイディプスは答えます

「それは人間(人の一生)だ!」

(朝→ハイハイ、昼→2本足、夜→足+杖)

初めて謎を解かれたスフィンクスは、自ら海に身を投げ死んでしまいます。

スフィンクスに困っていたテーバイの人たちはオイディプスを王として迎え入れ、彼は実は自分の母である王妃と結婚しました。

後に、自分が意図せず「父を殺し、母と交わった」ことを知ったオイディプスは、ブローチで両目を突き盲目となって、放浪の旅に出ます。

 

スフィンクスの出す謎に「それは人の一生だ」と答え、あたかも人生をわかった気でいた彼ですが、己のダークサイドは何も知らない上での「表面的な勝利」に過ぎなかったのです。

7番【戦車】の勝利も、あくまで「外側(社会に向けた)勝利」であって、人生の謎には答えられません。

オイディプスは盲目となり「内に目を向ける」ことで、真の意味で己の人生と向き合っていくのではないでしょうか。

 

以上の世界観を踏まえて、このカードが出た時のリーディングのポイントについてみていきましょう。

リーディングのポイント

このカードが出た時は、【戦車】の世界観を通してお悩みを見ていきます。

私たちは自分の無自覚なものの見方で現実を見ており、その状態で留まってしまっているからこそ、悩みになっていると言えます。

そこで、別のフィルターを通して問題を見ることで、「自分のこだわり」・「偏った考え方」・「盲点」などに気が付くことができ、悩みだったものが違う次元で展開していきます。そこでは「新たな可能性」が生まれたり、自分を縛ってきた囚われから解放されるヒントを得れるかもしれません。

 
ポイント1)あなたが「凱旋する英雄」であったらどうか?

そのお悩みにおいて、あなたが「凱旋する英雄」であったらどうでしょうか?

・自分のほしいものは今ここにはないので、安全地帯から出て領土の外へ戦いに行くのです。

・そこまでの危険を冒すので、「自分は何が欲しいのか」目的がはっきりしています。

・また、一か八かのときに勝負に出れるかということが問われているかもしれません。

 

ポイント2)今は「外面の勝利」を得る時なのか?

この戦車が得ようとしているのは「外面の勝利」です。

自分の弱さや欠けたものを埋めるため、外側に向かって努力するような世界観です。

お悩みにおいて、もしこれまで戦車のような関わり方をしてきたのなら、「自分の内面に目を向ける」ことでそのお悩みは違ったものに変化するかもしれません。

例えば、「頑張って婚活しているが中々結婚できない。どうすればいいか?」というお悩みに戦車がでたとします。

そしてその方の結婚したい理由が「周りの友達はみんなしているし、親にも早く結婚しなさいと言われている、それに1人だと不安だから」だったとします。

この方は「結婚」という目的のため、領土の外に戦いに行っているのです。

ここで「結婚」を「外側の勝利」と考えるとどうでしょうか。

この方にとって「自分の内面と向き合う」とは、

・友達や親は「結婚した方がいい」と言うけど、私にとって「結婚」ってなんだろう?

・どうして「結婚しないと周りから認められない」と思うんだろう?

・結婚することで、自分の何を埋めようとしようとしているんだろう?

などと考えることだと思います。

そうすることで、例えば

・実は「1人でいることにそこまで不満はなかった」

・自分は「結婚がしたい」のではなく、「ただ誰かに愛されたかった」だけ

などの気付きがあると、結果的に「どうすれば婚活がうまく行くか」というお悩みは悩みでなくなり、話が違う次元で展開していくのです。

 

【戦車】が苦手な私

上記では【戦車】の世界観とリーディングのポイントについて見てきました。

ここからは、このカードについての個人的な感想です。

【戦車】の世界観は、私の苦手なことだな〜と思いながら講義を聞いていました。

先生は「安全第一の人は、このカード苦手かもしれない」と仰っていましたが、まさにそうです。

私が思い浮かんだのは、現実的なリスクを取るというよりは、精神的な「心の安全地帯から出ていく」挑戦です。

実は、高校生以降友達と喧嘩したことがないのです。

中学3年生の時に、小学校時代からの親友と喧嘩になり、そのままケンカ別れしたことがありました。

学校でも一切口を聞かず、お互いを避けたまま卒業を迎えました。

それ以来、相手の意見に反対したり、自分の正直な気持ちを話すことが怖くなりました。少しでも関係が悪化するのが怖いのです。

大学の時、ある友達に「Patakoの〇〇なところは良くないと思う」と言われたことがありました。それはありがたい指摘でしたが、私の方にも言い分がありました。

ですがその時は「ごめん、気を付ける」としか言えず....。

あの時、自分の思っていることを正直に話したら、もしかしたらより良い関係が築けたかもしれない、例え気まずくなったとしても、自分の中にわだかまりとして残ることはなかったのかもしれない、と思い出すたびに後悔しています。

今の職場では、同じバイト仲間と雑談していても、当たり障りのないことしか言えず...

正直な反応をしている人を、羨望の眼差しで見つめたりしています(笑)

なので私にとっては、「例え相手と意見が違ったとしても、自分の正直な考えを伝える」ことが英雄の行為なのかもしれません。

 

よくよく考えると、相手のことを「意見の違いを受け入れない人」と無意識に思っているわけで、失礼な話ですよね😅

意見が違うからこそ面白い!と思う人もたくさんいるだろうに...🤔

きっとそれは、私自身が自分の考えを肯定されないと、「自分を否定された」と思いこんで、傷ついてしまうからなんだと思います。

自分が違う意見を言われるのが怖いから、きっと相手もそう思うだろうと考えているんでしょうね....

次に自分の考えを言う機会があった時は、心の安全地帯から一歩踏み出して、正直に発言できたらいいなと思います。その挑戦をしたこと自体が、何よりも自信になりそうなので☺️

 

最後は関係ない話に脱線しましたが、

以上が、7番【戦車】についてでした。

次回は8番【力】について書いていきます☆

ではまた!

【6恋人たち】~エデンからの旅立ち~

こんにちは。patakoです。

今日は、大アルカナ6番目のカード【恋人たち】について、愛月先生の講座から学んだことや、自分であれこれ考えたことを書いていきたいと思います。

まずは、このカードの世界観から見ていきましょう。

【恋人たち】の世界観

裸の2人の男女はアダムとイヴです。

アダムの後ろには生命の木、イヴの後ろには知恵の木が描かれており蛇も巻き付いています。そして頭上には、赤い髪と翼を持つ、大天使ミカエル様が。

このミカエル様は、神に最も近い天使として崇拝されており、「天使の中の天使」と言われる存在なのだそうです。サタンを退治したり、最後の審判の日にはラッパを吹き鳴らし、人間の魂を秤にかけるんだとか。

 

アダムは男性性(理性、コントロール、規律、秩序)イブは女性性(心、感じるまま、夢を描く、自由に想像する)の象徴です。

男性性も女性性も両方とも私たちの中にありますが、この2つがバランスよく保たれている人は少ないのではないでしょうか。

そしてタロットでは、大アルカナ22枚を通して、1人の人間の中で男性性と女性性が統合され新しい自分に生まれ変わる、心の過程が描かれています。

1つ前のカード、5番【法王】では、社会における正しい教えを学びます。正しいものを教わり、守っていくことが大切でまさに男性性の世界です。しかしそこにはオリジナリティはありません。この6番で、女性性に従って5番の世界から出ていくことで、初めてオリジナルなものを見つけていくことになります。

女性性とは、心のまま、感じるまま、コントロールしない、自分のやりたいようにするというものです。また恋をするとか、理由はわからないけど何かにとても強く惹きつけられるとか、自分のコントロール外で、意図しないものによってもたらされるものでもあります。趣味や好きなものは、みんなこの女性性の力だと思います。

そしてだからこそ、とてつもないパワーを生み出し、次の7番【戦車】の原動力になります。

戦車は人生を変えるための動きですが、この女性性の力がなく理性だけの人は戦車を動かす力が出ないので、人生が変わりません。(ずっと同じ人生を過ごすというのもその人の選択で、生き方の1つですが...)

同じことをしていても、それをお金のためだけにしている人と、心から興味があってしている人とでは全然違いますよね。

その作業自体が喜びになるから、何時間でも没頭していられます。周りからはすごく努力しているように見えても、本人にはその意識は全くなく頑張っている感覚はなかったりします。どんなに技術があっても、それを本当に好きな人には敵わないなと思いますね〜^^;

少し話が逸れましたが、この女性性の力が、次の7番に繋がっていくキーになるのです。カードを良くみると、イヴだけが天使を見上げています。

 

アダムとイヴは、エデンの園を追い出されたことで有名ですよね。

知恵の木の実だけは食べてはいけないという神の言いつけを、ヘビにそそのかされたイヴが破ってしまいます。その実はとても美味しかったのでアダムにも食べるよう勧め、2人は楽園を追放されました。(このとき神に命じられて2人を追放したのがミカエル様です。)このことから、イブは蛇にそそのかされたばかりかアダムまでも巻き込んだ、まさに堕落の象徴となっているのです。

 

しかしウェイト版タロットの考案者であるアーサー・エドワード・ウェイトは、この話を逆手に取り、

イブは「何も知らない神の操り人形から、意思を持つ人間へと変わるための変化をもたらす存在」であり、まさにそれこそが神の真意であったと再解釈しました。

つまり、「イヴの自由な行動があったからこそ、2人はエデンの園を出て様々な経験をし、完全な人間になることができた。それこそが神の真の狙いだった」のだと。

聖書では2人を追い出したミカエル様も、このカードでは2人に天使のご加護を与えているようですもんね。

以上の世界観を踏まえて、このカードが出た時のリーディングのポイントについてみていきましょう。

 

リーディングのポイント

①理性と本心に分ける

その問題を、アダム(理性、コントロール、規律)の面とイブ(本心、本音、感じるまま、心のまま)の面に分けて考えてみます。

特に考えるべきは、イブ(本心)です。

大人になると、アダムの力(〜しなければらならない、世間では〜が正しい)が強く、イブを見失っている、またはイブとのコンタクトが取れなくなっている人が多いのではないでしょうか。

「自分の本音がわからなくなっているから、悩みになっている」とも言えるかもしれません。

自分がしたい、しないといけないと思っていることは、実は本心からきたものではなく、社会の基準に合わせているだけということはないでしょうか?

私は、「友達との旅行は楽しいもの」という頭での認識があったので、実際に仲良しグループで旅行に行っても楽しめない自分に悩んでいました。でも、よくよく自分の本音を聞くと、そもそも自分は旅行自体そこまで好きではないし、団体行動も向いていない、本当は行きたくないと思っていたことに気づきました。

理性→友達との旅行は楽しいものだ(旅行会社のCMのイメージ)

本心→本当は行きたくない

こんな感じです。

「なんだ、本当は行きたくなかったんだ」と気づくと、そもそも「友達との旅行を楽しめない」ことは当然であって、悩みではなくなります。

これは簡単な例ですが、自分の本心って意外とわからないものなんですよね。

世間で良いと言われていることをすれば、周りからも認められるし、自分でも良いことをしてる気になりますし.....でも実際には自分の本音は置き去りにされているという.....。

愛月先生も、心は大嘘つきだと仰ってました。

なので、まずはその悩みを、理性と本心に分ける、本音の部分ではどう思っているのか考えてみましょう。それだけでも、だいぶ問題が整理されると思います。

 

②夢を描いたり、心のままに、生きたいように生きているか?

何かに悩んだり、判断に迷っている時、「夢を思い描いたり、生きたいように心のままに生きる」という側面を忘れていないでしょうか?

「そんなこと考えたって無駄」「イメージしたり、想像したり、夢を描いたり、子供のときには出来ていたのに、今ではできない」「どうしてもネガティブに考えてしまう」という人は案外多いかもしれません。

私もどちらかというと苦手です。すぐに現実的な問題を考えてしまったり、そもそもワクワクすることが少なくなっていたり。

でも、天使と繋がるのはアダムではなくイブなんですよね。

「イメージしたり、夢を描いたり、生きたいように生きる」ことを、相談者の心が取り戻すかどうかがその問題を通して提示されているかもしれない』

と先生は仰ってました。

 

私は今まで、いくつか資格の勉強や習い事をしてきました。パワーポイントやエクセルなどのPC資格、ファイナンシャルプランナー、プログラミングの勉強などです。

真面目な性格なのもあり一生懸命勉強したので、どれも資格を取ったり実際にスキルを身につけることが出来たりと、一応の形にはなりました。

しかし、全ての動機が「それなりの収入を得られ、手に職を付けたいから」というものだけだったので、当然勉強も楽しいはずはなく、自分に課した義務として取り組んでいました。

なので、一通り勉強が終わってそれを実際に活用していく段階に入った時、全くやる気が湧かないのです。

特に、プログラミングを身につけて、簡単なHPを作れるようになった時がそうでした。実際に仕事としてやっていくには、自分で案件を取ってきて数をこなし、技術を磨いていかなければなりません。しかし、HPを作りたい!という熱い気持ちがない私には、戦車のような道を切り開いていくパワーを出すことがでませんでした。

タロットは、初めて純粋な興味から始めたことで、自分でもこれまでの勉強とのモチベーションの差に驚いています(笑)

夫にも「よくそんなにずっと出来るね」と言われ、勉強しているうちに他者のことも占いたくなってきて、最近では積極的に周りの人に声をかけて占わせてもらっています。

このことが何に繋がるのかはわかりませんが、私の中のイブに従った結果、とてもワクワクした日々を過ごせるようになりました。

生きていく上では、理性の力ももちろん大切ですが、それはどちらかというと導きとしての役割で、原動力となるのは自分の心の方なんだなということをこのカードから学んだ気がします。

 

まとめると、リーディングでこの【恋人たち】のカードが出た時には、

①理性と本心に整理して考えてみる。特に、本当の本音の部分を見つけることがポイント。

②イヴに象徴される女性性の面(心のまま、自由な想像力)を生きれているか?

という視点で問題を見てみると、新たな気づきを得ることができるかもしれません。

 

以上、6番【恋人たち】についてでした。

次回は7番【戦車】について書いていきます☆

ではまた!

【5法王】~私の信じるもの~

こんにちは。patakoです。

今日は、大アルカナ5番目のカード【法王】について、愛月先生の講座から学んだことや、自分であれこれ考えたことを書いていきたいと思います。

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まずは、カードの意味から!

意味

このカードでは、法王が信者に神の教えを説いている場面が描かれています。

そこから

「(社会における)正しい教え、道徳、規範、常識」という世界観を表します。

(あくまで「教わる」という立場なので、自分の考えや内側にあるものではなく、外から教えられる(押し付けられる)ものです)

 

ポイント

①社会のルールを学び、従うことで守られる

言われたことを守り、皆と一緒のことをしていれば、そこにオリジナリティはないのですが、安心感を得ることが出来ます。

例えば、学校の校則に何の疑問も持たずに従えば、先生に怒られることはありません。むしろ生活態度良しという評価をもらえるかもしれません。

しかし、これは自由がなく制限があることの裏返しでもあります。ここに疑問を持ったり、自分の考えが出てきたりすると、この5番の世界から出ていきたくなります。

(そしてそれは場合によっては「いけないこと」だったりしますね。そうすると「15番(悪魔)」の世界観になります。)

 

➁正しいものと「そうでないもの」

正しい教えや基準があるということは、自動的に「そうでないもの」は『悪』や『間違ったこと』になります。

例えば「人を殺してはならない」という教えがあり、「人を殺すこと」は『悪』というのは誰もが納得できると思います。

しかし「給食は残さず食べなければならない」という教えがあり、「給食を残す人はだめ」というのはどうでしょうか。

どうしても食べられない物があったり、食欲がなかったり人には色々事情があると思うのですが、ここではそういった多様性は認められず、ある1つのことだけが正しいということになります。

いじめや差別はここから発しており、1つの基準を掲げるというのは実は怖いことでもあると思いました。

 

③「何を信じるか」は私が決める

生きる上で、「信じるもの」がある人は強いですよね。

そしてそれは一般的な宗教だけではありません。その集団における決まりごと、社会的に価値あるものとされている事や物(ボランティア活動、学歴、肩書、ブランド物など)、尊敬する人や好きな有名人なども、「信じるもの」に含まれます。

(例えば「推し活」などは、グッズを購入することを「お布施」と呼んだり、ポスターや写真を飾って「拝ん」だりとまるで宗教活動のようですよね。「推し」から得るパワーにもすごいものを感じます。)

ここで重要になってくるのは、その「信じるもの」の中に、『自分の人生を良くしよう、意味あるものにしよう』という向上心があるかどうか。

この部分が少しでもないと、どうしても「依存的」になったり、「自分の不安を解消するため」に利用するにすぎなかったりと、健全な意味での信仰心ではなくなってしまいます。

 

■生命の木では

この5番法王は、コクマーとケセドを繋ぐパスです。そしてこのパスには「釘」という意味のヘブライ語(ヴァウ)が当てはめられています。

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「釘」とは、何かを固定する、制限を加えるということを表しており、「何を信じるか」によって、どう人生を固定するかが決まります。

そしてその固定されたところから、ケセド(可能性)が開かれていきます。

『制限があるからこそ、可能性が生まれる』というのは一見逆説的ですが、先生の例を聞いてとても腑に落ちました。

〈例〉

・制限のある人(親の介護や子どもの世話、仕事が忙しい)の方が、案外時間に余裕のある人よりも「今やらなきゃ!」という思いが強いので頑張れたりする。

・「死を意識する」ことで一日一日をとても大切に過ごす。

・物事が現実化するということは、制限をかけられて狭まっていくことでもある。

このように、釘で固定されたところから可能性が開いていきます。

 

以上が、生命の木を上から見たとき。

では、下から見たときはどうでしょうか。

私たちが普段いるのは、ヴェールの下の世界。自分が無自覚に作り上げたフィルターを通して、現実を見ています。そしてここは可能性のない世界でもあります。

「こうでなければいけない」「こうあるべき」「こうならなかったらどうしよう」という考えに凝り固まっている限り、ヴェールを超えていくことができないのです。

ケセド(可能性)に繋ぐパスが、10番【運命の車輪】。

この10番で起こる「偶然性(たまたま)」を見るためには、一旦自分のフィルターを外さないといけないのです。

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私の好きなユング心理学コンステレーションという考え方があります。

ステラとは星座のことで、コンステレーションとは「布置」と訳されています。

夜空の星座を見るとき、そこにはただ星々が並んでいるだけなのですが、昔の人はその星の形を柄杓と見たり、天秤に見たりしました。一見何の関係もない星々を繋げて、1つの星座にしたんですね。そうしたことで、そこには1つの意味が出来、物語が生まれました。

このように、『一見無関係にしか見えないものが、ある時全体的な意味を持って見えてくる』ことをコンステレーションというのです。

自分の長年抱えている悩みや、凝り固まった状況を、「コンステレーションを読む」という視点で見たとき、「ある特定の何かが悪い」のではなく、色んなものが相互に関連しあってコンステレーションが出来上がっていることに気が付くことができます。

そしてこのコンステレーションの確実な把握ができるとき、実は変なコンステレーションが解けて、新たなコンステレーションが生まれる場合が多いのです。

私はこの考え方を知り、人生の見方が大きく変わりました。まさに私にとっての「信じるもの」なのだと思います。

かなり話が逸れましたが、「運命の車輪」を通ってケセド(可能性)に行き着くという話を聞きながら、このことを思い出したのでした。

 

■「何かを信じる」ということ

自分が本当に信じられるものを持ったとき、それはもはや外側にあるものではなく、自分の中に取り込まれ自分の一部になるのだと思います。そして人は、そのときに初めて、本当の意味での信念を持つのではないでしょうか。

最後に、(臨床心理学の第一人者でありユング心理学を日本に広めた)河合隼雄先生についての回顧録から、「何かを信じる」ということについての印象的な文を引用します。

(実際に河合先生から教育分析を受けた心理学者の方が書かれた文です。)

自分を信じることが大切であると言われるが、そんなことはどうでもよかった。まず何よりも「河合隼雄」を本当に信じることができるかの方がはるかに私にとって意味があった。

(中略)

たとえだまされていたとしても、河合先生がまったく私のことを誤解していたとしても、今はもうどうということはない。

この決定や「河合隼雄」を信じることは、変わらないものへと変化したのである。

(『臨床家 河合隼雄』)

 

 

以上、5番【法王】についてでした。

次回は6番【恋人たち】について書いていきます☆

ではまた!

【4皇帝】~エゴの王国を築く~

こんにちは。patakoです。

今日は、大アルカナ4番目のカード「皇帝」について、愛月先生の講座から学んだことや、自分であれこれ考えたことを書いていきたいと思います。

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まずは、カードの意味から!

 

意味

このカードは、王様が自分の国を治めるかのごとく、

自分で自分の人生をコントロールし、築き上げていく」という世界観です。

皇帝は自分の頭で考え、決断し、実行していきます。

また、築きあげたものを安定させ、継続させていくという守りの面もあります。

(この4番で築き上げたもの〈エゴの王国〉は、16番の「塔」によって破壊されます。)

 

ポイント

ここでのポイントは「男性性」です。

男性性とは、「どうにかしようとする、コンロトールしようとする」力のことで、

そこには法と秩序、規律や支配といった要素も含みます。

そして、自分の外側だけでなく、内側の心もコントロールします。

あくまで第一優先は、自分の感情よりも、「達成すべき目的」なのです。

一方女帝に表される「女性性」は、「ありのまま」である力です。この世界は、無秩序で自然のままの世界です。自分の本能も感情も何もコントロールされていません。

 

そして、女性性は「無条件の愛(母性愛)」、男性性は「条件付きの愛(父性愛)」とも言えます。

「無条件の愛(母性愛)」では、愛されるのは何か特定の条件を満たしているとか、期待に応えているからではありません。ありのままの自分で愛される。なにもしようがないとも言えます。ある意味とても受動的ですね。

一方「条件付きの愛(父性愛)」は、それを得るために努力することができるので、自分でコントロールすることができます。愛されるためには「資格」がいるのです。期待に応えられなければ、愛してはもらえません。

そしてこの父性愛では、「服従こそが最大の美徳で、不服従は最大の罪」になります。

 

子どもの成長には、母性愛も父性愛も共に必要になります。

まずはしっかりと「ありのままの自分を愛してもら」った上で、父性愛によって、社会で生きていく上で必要なことを教え導いてもらうのです。

そしていずれは、父の支配から抜け出し、自分の人生を生きていきます。

母親的良心は言う、「おまえがどんな過ちや罪をおかしても、私の愛はなくならないし、おまえの人生と幸福にたいする私の願いもなくならない」。

父親的良心は言う、「おまえはまちがったことをした。その責任をとらなくてはならない。何よりも、私に好かれたかったら、生き方を変えなくてはならない」。

成熟した人間は、自分の外にいる父や母から自由になっており、自分の内部に母親像・父親像をつくりあげている。

(エーリッヒ・フロム「愛するということ」)

 

■私がかつて築いたエゴの王国と、その崩壊

皇帝にまつわる私のエピソードを1つ。

私が新卒で入った会社では、人材育成にとても力を入れていました。いずれは管理職として活躍できるよう、新入社員の頃から「人の上に立ち周りを引っ張っていくリーダー」の視点を持つことを常に意識させられ、そのための大規模な研修が定期的に開かれていました。

(まさに皇帝の「リーダーシップ」力を遺憾なく発揮できる人が評価される会社です)

一方の私は、場をしきったり周囲をひっぱっていくことが苦手。それよりは、リーダーをサポートしたり、細々した実務を1人で黙々とこなす方が性に合っています。

つまり、私には向いていない会社だったのです。

では、なぜそこに入社したのか?

それは、「大企業に入ること」が当時の私にとって何よりも大切な目的だったからです。(社会的に評価される肩書きがなければ、自分には価値がないと思っていました)

そのため就活では、「有名企業から内定を取る」という目的に向けて努力しました。

情報収集をし、大学のOBに連絡を取ってESを見てもらい、面接ではどう振る舞い、受け答えすれば他の就活生よりも評価されるかを研究。(こうゆう皇帝の力の使い方は得意です。)

この時の私には、「自分に合う」会社を見つけ、「私らしく働く」という発想は全くありませんでした。

所々で「この会社は自分には向いてないかもしれない。やっていけるのか?」と思うことはあったのですが、その心の声を無視していたのです。

結果内定を得たものの、会社から求められることと素の自分とのギャップにとても苦しむことになりました。

そして入社から数年後、身も心も大きく調子を崩して適応障害になり、退社しました。

会社にいる間は、求められているように振る舞おうと努力し、それなりに評価されることもありましたが、もともとのスタートが「ありのままの私ではダメだ」だったので、どこまでいっても不安で苦しかったです。

男性性は生きていく上で必要な力ですが、それと同じくらい裏側で女性性(ありのままの自分を愛する)が働いていることがとても大切だと思います。

この裏打ちがないまま自分の王国を築いても、それはとても脆く、自分で自分の首を絞めていくような方向に進んでいってしまうのではないでしょうか。

 

最後に、生命の木との関係についても見ていきましょう。

■生命の木では

皇帝は、↓の青線部分のパスになります。

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生命の木の頂点(生命エネルギーの根源)から、「力」がだんだん狭まって降りてくるイメージです。

パスにはそれぞれヘブライ語も当てはめられています。

1番<魔術師>→ベス(家)

3番<女帝>→ダレス(扉)

4番<皇帝>→へー(扉)

とくにこの3つのパスは開閉を表す言葉で、まるで太陽の光が私たちに必要な分だけ、あるゆる箇所を通して部屋の中に入ってくるようですよね。

また皇帝のパス「へー」には、牡羊座も当てはめれています。牡羊座の支配惑星は「火星」。

火星は、伝統的占星術では「熱くて乾いている砂漠」のイメージ。砂漠地帯で生きていくには、サバイバル力が必要です。闘い、自分で生きる道を切り開いていく、皇帝のイメージにも重なりますね。

(反対に女帝のパスには金星が当てはめられています。金星は暖かくて湿っている、豊かな土地のイメージです。ここでは文化が生まれ、楽しんで暮らすことができます。)

 

以上、4番皇帝についてでした。

次回は5番教皇について書いていきます☆

ではまた!

 

【3女帝】〜なぜないものがほしいのか?〜

こんにちは。patakoです。

今日は、大アルカナ3番目のカード「女帝」について、愛月先生の講座から学んだことや、自分であれこれ考えたことを書いていきたいと思います。

 

 

まずは、カードの意味から!

 

■意味

このカードは「欠乏のない世界」をあらわします。

そこは、「豊かで恵まれている」のが大前提の世界。

「無いから欲しい」のではなく、今あるもので十分満たされています。

そして放っておいても自然に実がなるので、女帝はただゆったりと座っているだけで恵みを頂くことができます。

 

■ポイント

ここでのポイントは、「女性性」というものです。

女性性とは『ただ受け取る、どうにかしようとしない、そのまま感じる』という力。

反対に、男性性とは『どうにかしようとする、コントロールしようとする』力のことです。

 

例えば、何か悲しいことがあったとき

「ああ悲しい」とただただその感情を感じきっているときは、女性性のあり方です。

(犬や猫などの動物を想像するとわかりやすいかもしれません)

「この悲しい思いをどうにかしよう」とあれこれし始めるのが男性性。

女性性より、男性性優位で生きている人の方が多いのではないでしょうか?

そもそもこれだけ社会や科学が発達してきたのも、男性性の力によるものですしね。

 

しかし、実はこの「どうにかしよう」と考えることから、『欠乏』が生まれるのだそうです。

悲しみや傷つきや嫌な感情をそのまま感じるだけなら、ただそれだけ。

しかし、それをコントロールしようとすると、自分の欠けた部分に焦点が当たります。

理想を抱いてそれに向かって努力するのは、タロットでは4番〜7番の世界観。

この2番女帝は

「そもそも欠乏なんてない、あなたはそのままで愛されている、満たされている、何か起きても放っておきなさい」という世界観です。

 

また、

「与えられる(何かしてもらう)」ことが当たり前、当然であることもポイントです。

(「いやいや、そんなことしてもらったら悪いです😖!」とは真逆)

 

そして、

なんであれ与えられたものを喜べるのもポイント。

(「こんなものじゃ喜べない🤨」ではなく、「わ〜ありがとう😳」という感じ。既に満たされて欲望がないからできることなのかもしれませんね。)

 

実際に、女帝のように天真爛漫で、いつも幸せそうな人っていますよね。

しかももし私がその人だったら欠けていると思う状況でも、とても楽しそうにキラキラしてたりして。

そうゆう人は、自分を他人と比べることもないので、向こうからジャッジされているような圧迫感を感じず、一緒にいて心地いいというか、安心感のようなものを感じます。

そんな人を見ると、人が満たされるのは、「何を持っているか」ではなく、「どう在るか」なんだよな〜とつくづく思います。(それが難しいんですけどね😭)

 

■生命の木では

(生命の木については↓で解説していますので、よろしければご覧ください)

 

生命の木では、力が上から降りてきた部分(②)と、力が型に収まる部分(③)を繋ぐパスが女帝です。

 

生命の木は、右側と左側が相反するものを表していて、それらを統合していくことが目的だそうです。(弁証法のような、正反合の考え方に似てますかね?)

右側が力の「拡大(広がっていく)」、そして「わからない」ライン。

左側が力の「縮小(形になっていく)」、そして「わかる」ライン。

なのだそう。

 

この左右を繋ぐパスは3つあり、

上から、3番(女帝)、8番(力)、16番(塔)です。

女帝は、「力」と「形」という相反するものを『愛』で繋いで(統合して)いきます。

 

そして、この女帝のパスには金星が当てはめられています。金星は、愛と美の女神「ヴィーナス」のシンボル。

ややこしいのですが、第二層の◯の部分にも金星が当てはめられています。

ここはネツァクと言って、「感情」を表す部分です。

つまり女帝のパスとネツァクは、同じ金星が当てはめられていることによって繋がっているのです。

これは、私たちが現実に「嬉しい!楽しい!気持ちいい!」などと感じたとき、さらに高次のエリアにある女帝のパワーと繋がることになるそうです。

例えば、恋をした人が急にものすごく綺麗になることありますよね?

何が変わったわけではないけど、なんか違う!キラキラしてる!みたいな。

これは、ネツァクのところでときめいたり、ドキドキしたり、心が震えることによって、高次の層である女帝のパワーを頂いているということ。

このパワー(「大きな喜びの力」)を頂いている人は、とても自然にキラキラして周りの人を惹きつけます。

 

なぜないものがほしいのか?

この女帝のカードを学びながら、自分のこれまでの在り方について色々と考えさせられました。

思えば、私は「今のままで満たされている」という感覚がずっとなかったように思います。常に、自分には何か欠けているものがあって、それを満たそうと必死になり、それを得ることができないということを何よりも怖れる。

そしてその欠乏の対象は、自分の置かれている環境によって変化していきました。

ある時は「学歴」だったり、ある時は「会社名」だったり。

それってゴールのないマラソンをずっと走っているようなもので、手に入れた一瞬は高揚感、達成感があるのですが、やがてすぐに次の欠乏対象を見つけてしまうのです。(そもそも手に入れたことによる喜びって、そのままで満たされている安心感・安定感とは性質の違うものですよね🤔)

多分、私の本当にほしいものはそうゆうのではないんだと思います。

「社会的に認められるような肩書がない自分には、価値がない」と思って努力してきましたが、その方向で頑張り続ける限り永遠に楽になることはなく、

「ありのままの自分でいい」と思えるようになることが私にとって必要なことなのだと。

 

前回ご紹介した『世界一優しい「才能」の見つけ方』を読んで、自分の短所は長所の裏返しであることを知り、少し自分に対する見方が変わりました。

「ありのままの自分には価値がない」という自己認識は、幼少期における愛着の問題が大きいと思うのですが、短所のせいで生きづらさを感じたり、自信をなくしている部分も多分にあります。

でもその短所をどうにかするのではなく、見方を変えてそのまま受け入れていくことができれば、それは「ありのままの自分でOK」に近づいていきます。

 

愛月先生は、『タロットは、(ないものを補って)成長するのではなく、むしろ手放していく過程である』というようなことを仰っていました。

私がタロットに惹かれたのもそうゆうところなのだと思います。

 

「愛」とは?

先生が、エーリッヒ・フロムの「愛するということ」をおすすめされていました。

私は数年前に1度読んだことがあるのですが、当時はピンとこず本も手放していました。ですが、最近もう一度購入し改めて読んでみると、前回とは違ってとてもおもしろく感じます。

 

この本の中でフロムは、

・「愛」とは、何よりも与えることであり、もらうことではない。

・「与える」とは、何かを失ったり、犠牲にしたり、あきらめたりすることではなく、「与えることによって、与えられる」のである。

と言っています。

これを読んで思ったのは、「ないない」と思って欠乏している自分には、「与える」という発想自体あまりなかったな。むしろ、相手から何かを与えてもらいたいとばかり思ってた。これでは、大切な人すら、本当の意味で「愛する」ことはできないんだなと。

自分もいつか、「与えること」が一番の喜びだと思えるようになりたいです。

 

(気になった方はぜひ読んでみてください!とても学びのある本です)

愛するということ | エーリッヒ・フロム, 鈴木 晶 |本 | 通販 | Amazon

 

以上、3番女帝についてでした。

次回は4番皇帝について書いていきます☆

ではまた!

 

 

 

 

 

 

 

 

【2女司祭】~私が私でいるための聖域~

こんにちは。patakoです。

今日は、大アルカナ2番目のカード「女司祭」について、愛月先生の講座で学んだことや、自分であれこれ考えたことを書いていきたいと思います。

 

 

まずは、カードの意味から!

 

■意味

これは私の「種子」の部分と繋がるという意味のカードです。

種子というのは、自分の中にある、理由はよくわからないけど、直感的で絶対的な判断基準のことです。

この判断基準は、頭で考えたものではなく、体からくるものです。

例えば、「理由はないけど、これが好き!嫌い!気持ちいい、不快、生理的に無理」

など。

社会(親や友人、自分の属している組織)の基準とも違いますね。

つまり、この基準は自分の内側にある私が私らしくいられるための聖域なのです。

 

1番「魔術師」と2番「女司祭」は、自分の基になる部分。

変えられない設定でもあります。

→魔術師では、(自分の肉体、両親、生まれてくる環境など)

→女司祭では、潜在的な感覚(好き、嫌い、快、不快)

が決まります。

 

■生命の木では

(生命の木については↓で解説していますので、よろしければご覧ください)

patapataco.hatenablog.com

 

女司祭は、生命の木では↓の青線部分に当てはめられています

この女司祭のパスは、「私とは何か?」に関連してきます。

この生命の木では、そもそも「私とは何か」なんて「無い」と考えます。

なぜなら、最上層部分の第4層は科学の限界を超えた世界。人はなぜ生まれ、なぜ死ぬのか、私とは何か?このことについて科学で解明できるのはHOWまでで、WHYは永遠にわかりません。

つまるところ、結局「わからない」「無である」「あるのはただエネルギーだけ」というのが結論になります。

 

そしてこのエネルギーが、下に降りてきた時、理由もなく最初の設定ができます。

(無の世界から降りてきただけなので、そこに理由などないのです) 

「(何か知らんけど)これが好き、これが苦手、これは出来るけど、これは出来ない」という設定ができ、おぼろげながら「私」というものが立ち上がってくる。

本当は私なんてものないんだけど、その「種」を信じるところから物語が始まっていく。

これが、女司祭が現すパスです。

 

■女司祭の部分を無視してしまうと

タロットにおける、人が持つ判断基準は3つ

①女司祭→感覚、直感、体による判断

教皇社会のルールに基づく判断

③正義→頭を使った比較に基づく判断

 

この中でも女司祭に表される判断基準は、状況や相手によって変わらない、自分の中にある絶対的な基準になります。

もし、この部分を無視してしまうとどうなるでしょうか?

「自分が自分でいられなくなってしまう」のです。

そして、ここは自分と外の世界に線を引く、自分を守るための大切な感覚でもあります。

 

小さい子が転んで今にも泣きそうになっている時、その子に向かって「泣かない!痛くない!」と言っている親御さんを時たま見かけます。

特に小さい頃は、自分の負の感情(痛い、怖い、悲しい)をしっかりと感じて、それをそのまま受け止めてもらうということがとても大切なのですが、その感情が無かったことになる経験が積み重なると、自分はどんなことが嫌で、何をされると悲しいのか、そんなことがわからなくなったり、無意識に抑圧したりしてしまいます。

 

すると、悲しいことや嫌なことがあったとき、しっかりとその感情に向き合うことができず、それをごまかすために常に気を逸らし続けることでしかバランスが取れなくなってきます。

私の友達は、「どんなに疲れて早く寝たくても、ゲームをしないと落ち着かない。やめたいと思っているのだけど......」と言っていました。もしかしたら目を背けたい、抑圧している何かがあるのかもしれません。

 

私は高校の頃、日々あまりにたくさんの課題が学校から出され、夜遅くまで勉強していました。そもそも行きたい大学があるわけではなかったのですが、学校では少しでも偏差値の高いところに行くことが正義とされていたので、ただただいい点を取るために苦手科目に必死に取り組んでいました。

「自分は正しいことをしている」と頭では思っていましたが、常にイライラが止まらず、唯一の楽しみは食べること。(その結果今より10キロ近く太っていました)

やっと眠れると思って布団に入っても、眠るまでの空白が嫌で、寝落ちするまでネットサーフィンをしていました。

社会(学校)の基準にばかり合わせていて、女司祭(自分の感覚)を無視した生活ですよね。

幸い、高校を卒業して環境が変わったので更に悪化することはありませんでしたが、あの生活をずっと続けていたら後々大きな問題になっていたと思います。

 

もう一つ、女司祭で浮かんだエピソード。

社会人になり私が新卒で入った会社は、同期同士で旅行に行ったり、仕事終わりに飲み会をしたりと、同期の繋がりが強いところでした。

先輩社員からも「同期は大切にしろ」とよく言われてました。

しかし私は同期たちとタイプが合わず、しばしばそのことで悩んでいたのです。

彼らの多くが、みんなでワイワイガヤガヤすることが好きで、見た目も華やかな感じの外向的なタイプ。一方私は、人が多い場所は苦手で、大人数の飲み会では会話に入れず、1人で家でまったりするのが好きな内向的なタイプ。

場の雰囲気を壊さないように同期たちに合わせて楽しそうに振る舞っていましたが、家に帰ると正気を吸い取られたようにげっそりしていました。

しかし、少しずつ飲み会の誘いを断ったり、一次会だけで速やかに帰宅しているうちに、「そうゆうキャラ」として同期の中で定着するように。

確かに1人だけ浮いていたし、付き合いが悪いと言われたこともありましたが、「私らしくいられる」だけでとても楽になりました。

このときは、自分の中にある基準を優先することができたのだと思います。

 

「私が私らしくいられる」ことが、精神的に健康で、生き生きとした日々を送る上で欠かせない在り方なのかもしれません。(実はすごく難しいことだったりしますが😣)

 

最近『世界一優しい「才能」の見つけ方』という本を読みました。

その本で書かれていたのは、

・苦手なことではなく、得意なことをした方が、人は何倍も輝ける。

・人にはみな「才能」がある

・「才能」とは、「後天的に身につけたスキルや知識、人よりうまくできること」ではなく「自然とついやってしまうこと、自分にとっては当たり前に出来てしまうこと(生まれつきなど特別な努力をせず身についたもの)」

 

なのだそうです。なので、自分の才能を自覚し、それを活かすことができれば、水を得た魚のように生きることができるというのです。

これ、女司祭の「私が私でいられること」に通じると思いませんか?

「自分らしさ」に気づくことができる、とても実践的な本だったので、気になった方にはぜひおすすめです!

世界一やさしい「才能」の見つけ方 一生ものの自信が手に入る自己理解メソッド | 八木 仁平 |本 | 通販 | Amazon

 

以上、女司祭についてでした。

次回は、3番のカード「女帝」について書きたいと思います!

ではまた😎